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勘定奉行荻原重秀の生涯

めずらしくオフの一日。


家内と一緒に日光東照宮へのバスツアーに参加したのですが、その道中、ワタシは一冊の本を読みました。


村井淳志先生の「勘定奉行荻原重秀の生涯」。





通常、本は「音読」しているのですが、最近、日テレアカデミアの立ち上げもあり、少し読書量を上げなければと思い、通常の目読も復活させようと。


荻原重秀は、徳川綱吉、家宣の治世で活躍した勘定奉行。今でいう財務大臣です。


ワタシのことをよくご存知の方は、ワタシが徳川綱吉を「徳川時代の変革リーダー」として高く評価していることはご存知だと思います。


荻原重秀は、その綱吉官僚の中でも飛び抜けて、傑出した人物です。


その能力の高さは、綱吉とは政策を異なった家宣にも重用されたことが証明です。


ケインズより、200年前に「名目貨幣」を構想し、金本位制を切り崩そうとした着想力、長崎を一大貿易に変換させた指導力、そして彼しかできなかった2度にわたる「検地」を成功させた行動力。


彼の業績は凄まじいものがあります。


その一方で、仕事仲間でさえ冷徹に切り捨てる徹底した合理主義。


この荻原重秀という人物がいなければ徳川綱吉の改革は成功しなかったでしょうし、徳川幕府の命運はもっと早いうちに尽きたでしょう。


彼の不幸は、「観念主義の権化」のような新井白石の存在でした。白石の執念にも似た重秀の排斥活動により、彼はついに失脚し、そして無念の最期を遂げます。


村井先生の研究は、わかりやすくなおかつ、歴史の恐ろしさをこの「荻原重秀の最期」のミステリーとしてこの本のラストで描かれています。


不勉強ながら、この本ではじめて知ることも多く、ワタシの綱吉研究がまた一歩進みました。


この荻原重秀という存在がなければ、ワタシが江戸期最大の経済官僚と思われる田沼意次の存在はなかったでしょう。


そして田沼意次もまた、荻原重秀とまったく同じ無念の最期を遂げます。


まさに歴史は輪廻する。


この荻原重秀については、いずれアカデミアで取り上げてみたいと思います。


彼の発想はまさに「機動性」あふれるものでした。


そして彼の考えは現在の硬直化した日本の状況を打破する極めて示唆に富むものです。


ぜひ皆さんにご紹介したいと考えています。


動画は、日テレアカデミアでとりあげた徳川綱吉の特別講座です。


動画はこちら


 Akihito manabe profiel: 

 

研修講師、演出家、脚本家、小説家、作詞家

1968年生まれ

大学卒業後、大日本印刷、吉本興業を経て独立。

「演出」にフォーカスしたコミュニケーションプログラム「アクトレーニング」を開発。教育機関、企業などで幅広く講師活動を行う。

​一方、独特の感性でエンタテイメントビジネスでもハイブリッドエンタテインメント「魔界」の総合プロデュースなどを行う。

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